波乱に満ちた人生を歩んできた稲場。幼い頃から様々な試練に直面しましたが、それらを乗り越えて成長し、塗りかえ鈴覚でも活躍を続けています。
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こんにちは。稲場健二と申します。塗装デザイナーとして、いろいろなお宅の塗装工事をしています。みなさん、「塗りかえ鈴覚」のサイトを見ていただきありがとうございます。
今回は、僕がどんな人生を歩んできたかをお話させていただきます。
幼少の頃の僕は、一番最後に生まれた孫で、親戚からかわいがられる存在でした。10歳上の兄貴も、僕のことをなにかと気にかけてくれました。おばあちゃんも、脚が悪いのに毎日保育園まで送ってくれていました。保育園では、家が貧乏で周りからからかわれることもありました。お昼寝でおねしょをしてしまい、予備のパンツが女の子のパンツしかなくてそれを履かされたのは、今となっては笑えますが、当時は恥ずかしかったです。でも、卒園式では先生や友達とお別れするのが悲しくて、わんわん泣いた記憶があります。
小学生になると、低学年までは活動的なタイプの子供でした。河童を信じて裸で用水路に飛び込んだこともあります。しかし、家計が苦しくて母親がとても辛そうだったり、飼っていたネコが亡くなってショックだったりということが重なって、だんだん笑わない子になっていきました。悪いことをするようになったのもこの頃です。家族や友達に迷惑をかけることが増えました。学校の先生は、そんな僕を見てすごく心配をしてくれていたのを覚えています。
中学と高校でも、そんな日々は続きました。かわいがってくれていたおばあちゃんが寝たきりの入院生活になると、生活はもっとすさんでいきました。タバコを吸ったり、パチンコで何十万円という金額で勝ったり負けたり、不良と喧嘩をしてボロボロになるまで殴られたりといったこと繰り返すようになりました。
そんなとき、いつも助けてくれたのは兄貴です。何があっても、兄貴はいつも僕の味方だったのです。親戚のおじさんも、僕が自動車免許を取ろうとしているのを知って、お金を工面してくれました。人の優しさが身に染みました。僕は、まともに生きようと決心しました。徐々にではありましたが、悪いことをやめていったのです。
すると、いいことが起こるようになりました。親友と呼べるくらいの友達ができたり、勉強の成績も上がって生徒会長に選ばれたりしたのです。そうなってくると自分に自信がついてきて、高校の一時期は今思えばモテ期でした。モテることは嬉しいものです。でも、それ以上に、周りの人に感謝して真面目に生きていくのが一番なんだということが実感できたのは、僕のその後の人生の大きな財産になりました。
卒業式の日。僕は卒業生代表として答辞を読みました。当たり障りのないきれい事ではなく、悪さをしたことや悲しかったこと、悔しかったこともさらけ出した上で、かけがえのない思い出と、未来への抱負を語りました。卒業生も在校生も先生も保護者の人たちも、皆が壇上の僕をまっすぐ見て、耳を傾けてくれているのが伝わってきました。これが、僕が人に感動を届けられたと実感できた初めての経験でした。
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