今回は、塗りかえ鈴覚の塗装デザイナー・増田についてご紹介します。
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少年時代を振り返ると、僕はかなりのわんぱく小僧でした。足が速くて、体育や運動会のときは注目されるタイプでした。調子に乗りすぎるのが悪い癖で、ある時、自慢の俊足を友だちに見せつけようと、僕は通りかかった軽トラックと並んで走り始めたんです。運転手は僕には気づいていませんでした。急に軽トラックが左折し、僕ははねられました。
幸い、交通事故は大事には至らずに済みましたが、僕はちっとも懲りずに活発すぎるくらい活発な生活を続けました。気づけば、しょっちゅう喧嘩をしたり、小学校の校長室の窓に向かって給食のパンを投げ入れたり、手がつけられないくらいの悪ガキになっていました。放課後に悪友たちと作って遊んでいた秘密基地が火事になり、校長先生にめちゃくちゃ怒られた事件もありました。
担任の先生は、そんな僕を更生させようと真剣に向き合ってくれました。父も僕を見捨てずにいてくれたのは感謝の気持ちでいっぱいです。
先生や父のおかげもあって、喧嘩ばかりではなく、サッカーや野球にも打ち込むようになりました。いい行いも少しはできるようになりました。ある日、道を歩いていると、痴漢を目撃したんです。すぐに体が動き、僕は痴漢野郎を撃退しました。喧嘩っ早さと持ち前の足の速さで、少しは人の役に立てたというのは、気分のいいものでした。
そんな日々の中です。母が死にました。母は破天荒な人でした。子供の頃、新幹線に一緒に乗ったとき、トイレに入った僕は、鍵が壊れて出られなくなりました。しばらくすると、母はそれに気づき、次の瞬間、ドアを蹴破って開けてくれたのです。全速力で原付を走らせて、そのまま電柱に突っ込んでも死ななかった母。葬儀の時、子供は産めないと言われていたのに、無理して産んだ子供が僕だったと知りました。
母との日々はかけがえのない思い出です。高校を卒業した僕は、地元を離れて東京に行くことにしたのですが、その話は、また次の機会にお話します。
私たち鈴覚は、21世紀の日本の塗装業界の健全発展を願って
『日本建築塗装職人の会』に加盟しています。
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